C1269蒸気機関車保存会初代会長の保存会30周年にあたっての寄稿抜粋です。

SL30年の思い出

会長 大岡 信幸  

はじめに

 C12−69蒸気機関車が安城市に設置されて30周年を迎えます。この機関車の誘致に向けて皆で取り組んだことが、ついこの間のことのように想われますが、もう30年もの歴史を持つに到ったのですね。感慨無量なものがあります。この機会に、この機関車が安城市にお嫁入りしてきた経緯、30年間のいろいろの出来事、保存会の皆さんの頑張ってこられた事などを書き留めておきたいと考え、この頁をいただきました。拙ない文章であり、記憶も不確かなところがありますが、その点はお許しを下さい。

 

1 SL誘致運動のきっかけ
 −ここから誘致運動が始まった−

 私がたまたま安城市大東町の町内会役員をしているときのことでした。役員会後の懇談の中で或る役員の方からこんな話がでました。「何故安城市には蒸気機関車が置かれていないのですかね。子供に聞かれて返事が出来なかった。」と言われたのです。そういえば、刈谷、岡崎、蒲郡、西尾等にはSLが置かれていますが安城にはありません。そしてまた、別の役員の方から「今の子供は蒸気機関車を見たことがない。教育の為にも是非ほしいですね。」私が当時国鉄の職員でしたから私に聞かれたのでしょうが、私はそのことについてこれまで全く気付いていませんでした。なにか責任を問われているような気になり、あわててしまいました。「大岡さん、なんとかなりませんか。」の声がかかり、万事休す。「このところ蒸気機関車など、もう見かけませんし現状どうなっているかも判りませんが、でも一度あたってみます。」と答えるのが精一杯でした。東海道本線はもう何年も前から電化され、電気機関車や電車にかわっていましたし、ましてや廃棄された機関車のことなど全く判っていません。一抹の不安が脳裏を横切りましたが、とにかく明日管理局へ行ってみようと考えながら帰宅しました。

 

2 「名鉄局にSLはもうありません」
 −総務部文書課での回答−

 翌日、早速名古屋鉄道管理局に行きました。窓口が文書課だと聞いてたずねたところ、応対に出た人が広報担当の原充さんでした。SL払下げの担当もしてみえるという。まさに“渡りに船”。ところがその原さんからの開口一番が「大岡さん、今頃なにを言ってみえるのですか、蒸気機関車はもう名鉄局内には一台もありませんよ。」というものでした。そして、「北海道なら今も走っているから、廃車になる機関車があると想いますよ。」と教えてくれました。私は稲沢駅に勤めていて、隣の稲沢機関区に機関車がたくさんあるのを見ていましたから、一台もないといわれても、すぐには信じられませんでした。でも、“時すでにおそし”ということでした。
 私の落胆した顔を見ながら原さんは話を続けました。「もう少し早ければ、中津川機関区にC12型の機関車があったのですが、それはもう木曽福島機関区へ行くことが決まっているのですよ。名鉄局管内最後の蒸気機関車でした。」私は、この時その機関車をなんとか取り戻す以外に蒸気機関車を確保することは出来ないと思いました。(この話をしてくれたことは大変幸運だったのです。)
 私はすぐ、「その機関車が木曽福島機関区でどのように使われているのかについて尋ねてほしい。」ことをお願いしました。原さんは少し困ったような顔をされましたが、とにかく木曽福島機関区に問い合わせてくれることを約束してくれました。一縷の望みが得られたと思いました。

 

3 組織的な誘致運動への取組みに発展
 −安城地区鉄友会を基盤におく−

 一縷とはいえ明るい光が少し見えてきたことを受け、本格的な誘致運動に取り組むことにしました。そして、その運動の基盤を「国鉄安城地区鉄友会」におくことにしました。たまたま私がこの組織の責任者をしており、会の統一スローガンとしてふさわしいものであると判断したからです。この組織は、主として安城市内に住む国鉄職員の親睦組織として、安城駅の人達と通勤する国鉄職員との交流、同じ市内(地域)に住む職員同士のヨコの交流を深めることを目的に結成したものですが、これをとおし組合間の交流も図りたいと考えたのです。当時国鉄の職場は労働運動が活発であり、労働組合間の軋轢、非組合員と組合員との対立などで索漠とした雰囲気にあったことから、せめて同じ地域に住み、同じ駅から通勤し、また家族の交流もある中で、家へ帰ったら職場のこと、組合の違うことなどにとらわれず仲良くやっていきたいと願ったのです。顧問に安城駅長を推薦し、三役に各組合の代表が就任するよう要請しました。そして、この鉄友会が一致して取り組みの出来るスローガンとして「SL誘致」を重点に掲げたのです。更にこの運動を通し、市民の皆さんからも喜ばれる成果をあげ、当時とかく国鉄への批判が多く出ていたことに対し、少しでもこれをやわらげたらと考えたのです。

 鉄友会総会への提案理由は、次のようでした。

1 日本の経済に大きく貢献してきた蒸気機関車が消えて
 しまう。もはや希少価値のある産業遺産というべき蒸気
 機関車の面影を、安城市に是非残しておきたい。

2 蒸気機関車を知らない子供達に、その歴史(功績)を
 伝え、雄姿を見てもらいたい。

3 「SL設置」は安城鉄友会が一体となって活動をして
 いく上に於いて、極めて意義ある統一目標ではないか。

 総会は満場一致で力強くこの取り組みを承認してくれました。
 そしてすぐ、安城市に対する要請を行っていくことを確認し、市議会議員だった平岩保さん(当時安城駅在職)にその窓口になっていただくことにしました。

 

4 多くの方に協力を要請

 とにかく国鉄の窓口の広報担当原さんに強く頼んではあるが、幅広い取り組みが必要だと考え、上司の橘総務部長さん、広報課長の高井薫さん、そして運転部長の廣田佳男さんにもこれまでの経緯を話し、協力をお願いしました。むろんすべての方が快く協力を約束してくれました。
 その後、原さんからこんなニュースが入りました。「木曽福島機関区では、C12−69を上松駅構内の入換作業、明知線の列車運行にあてるとのこと、すぐ廃棄にし払下げることはなさそうだ。」いやこれは朗報だと思いました。そして、すぐ長野鉄道管理局へ行くことにしました。(木曽福島機関区は長野鉄道管理局の管轄なのです)
 数日後、長野に伺いました。局長の藤井民雄さんはつい最近まで名古屋駅の駅長さんであったことから面識があり、早速お願いに行ったのです。
 藤井さんにお会いしてこれまでの経緯を話し、C12−69が安城市に貸与されるよう考えてほしいことを陳情しました。藤井さんはC12−69のことは知らないようでしたが、「すぐ関係のところにあたってみる。」と言ってくれました。そして「なんだ、こんなことでわざわざ来なくても、電話をくれればよかったのに・・・」と言いながらお茶をすすめてくれたことを今でも鮮明に覚えています。ホッとして帰りましたが、藤井さんにはその後も一度出張の帰りに寄りましたが、そのときはお会いできず、名刺を置いて頼んできました。

 

5 C12−69の安城市貸与のメドつく
 −あとは安城市当局にお願い−

 いつの日でしたか、かなりの期間を経ての或る日、文書課の原さんから電話がありまして、「C12−69を安城市へ貸与するメドがつきましたよ」との連絡が入りました。一度鉄友会のメンバー(安城市民)で陳情に行こうかと思っていた矢先のことでした。いや嬉しかったです。直ちに市議の平岩さんに「はっきりメドがついた。安城市として正式に国鉄へ機関車貸与の申請を行ってほしい」ことをお願いしました。そして安城市としての公式要請が行われたのです。

 

6 杉浦彦衛市長さんの決断に心からの経緯と感謝を
 申し上げます

 C12−69蒸気機関車の受け入れにあたり、多くの問題があったのにもかかわらず、これが受け入れを決断された当時の市長杉浦彦衛さんに、まずもって心からの感謝と経緯を表すものです。
 蒸気機関車の受け入れにあたっては、費用の捻出、設置場所、今後の保存、管理面等で大変な論議がなされたと聞きました。もともと私どもが勝手に蒸気機関車の誘致を決め運動を先行させてこともあり、それを受けての対処には問題もあったかと思います。でも、よく僅かな期間にこれが受け入れについての方向を決めていただき、対処していただけたことを本当に嬉しく思っています。杉浦市長さんの蒸気機関車に対する深い造詣と愛着(郷愁)、そして次世代への贈り物として大きく決断されたものと感謝しています。そのことでもう一つ触れておきたいことがあります。それは当時の事務担当者が市長の許可を得るための書類(蒸気機関車貸与申請書)の片すみに手書きで次のコメントを記していたことです。

 「財政的に苦しくても二度とない機会であるため貸与の申請をしてまいりたい」

 どなたが書かれたか判りませんが、珠玉の名文だと思います。この心情が市長さんを動かし、議員の方々にも伝わり、必要な財源が確保されたと思うのです。あらためて関係者各位に心から敬意を表すものです。 

名古屋鉄道管理局長あて

  C12型蒸気機関車の貸与について(依頼)

 このことについて安城市新田町地内安城総合運動公園内児童広場に、昭和9年開通以来明知線において大活躍し勇姿を誇っていたC12蒸気機関車を永久保存し、子供の交通教育及び情操教育の教材として展示したいので貴局の格別なる御配慮を賜り、下記により貸与してください。

1 保存希望機関車型式番号 C12−69

2 保存場所 安城市新田町池田上1番地
       安城総合運動公園児童広場内

3 交通機関 東海道線安城駅より約2.5Km

4 運送方法 大型トレーラーにて運送

5 時  期 昭和49年6月下旬

6 経  費 運搬据付費
       軌道及びプラットホーム工事費
       上屋工事費
       設置箇所整備工事費

7 保存責任者 安城市長 杉浦彦衛
        維持管理者 蒸気機関車保存会

 

 

7 特に記しておきたいこと

 蒸気機関車が一時、子供の遊具にみられたことがありました。保存会としては強く反対をしたのですが、柵を開放したことから機関車の部品は無くなるわ、カマ(罐)の中に線路の石が一杯投げ込まれるわ、ひどい時には乗務員室に人糞までしてある等の被害が続出しました。市に対し、これが改善を強く求め、しばらくして従前の形にもどしてもらいましたが、誠に惨めな思いをしたことを覚えています。発端は市議会で出された“機関車をもっと子供等に開放せよ”という意見にあったようですが、この時会員から所轄を公園緑地課から他市のように教育委員会に変えてもらおうといった意見も出たくらいでした。いずれにしても緑地課の皆さんの努力で短期間に従前の形に戻していただけ安堵したことでした。

 

8 今後の取り組みについて

 振り返ってみるとき、いろいろ不充分であったことなどが反省されます。保管・清掃については一生懸命頑張ってきたつもりですが、SLを中心とした市民の皆さん、子供たちとの交流を深めていこうとの会の活動方針は残念ながら単発的に終わっており不充分でした。今後この点に重点をおいた取り組みを強めて生きたいと考えております。

平成16年3月1日 

 

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